2月19日。
長者町のギャラリー「スタンディングパインキューブ」をお借りして、
「アーツチャレンジ2012」出展だった「タニシK」さんのアーティストトークを
赤井あずみさんの進行で行いました。
急の企画でしたが、出展中のほかの作家さんも含めて参加がありました。
「アーツチャレンジ2012」の出展作家の中では、唯一「映像作品」の方でした。
「タニシK」は当然のごとく、ハンドルネームで 未だに本名はわかりません。
タニシKの「映像作品」は芸術文化センターの2Fフォーラムの西日射す場所に
放送局『TNK news』を開局し、誰もが「発信」できる場所をなしている。
ニュースキャスターとして、長者町・大須で出会った人たちに「インタヴュアー」としてインタヴューをした、
ここでしか見ることのできない「ニュース番組」が制作され「映像作品」として流されている。
作品に参加ということでは、「自分に起きた事件」をホワイトボードに張り付けてゆくわけで、
私も「私に起きた大事件 一生の不覚」を書き、ギャラリーツアーの折に
本人がギャラリーの前で読み上げるものであった。
それはまるで筒井康隆の『俺に関する噂』のようなもので、
「えーあの人が あんなことを」と 本人を知らずとも「事件」が知れわたるわけだ。
タニシKの作品は、これまで「2005横浜トリエンナーレ」に向かう京急電鉄車両の中での
「アテンダント」があり、その「映像作品」をアーティストトークで見る。
本人は「アテンダント」の扮装で「飲料品を載せたカート」を押して、突然、乗客の前へ現れるわけだ。
「アテンダント」なんてありえない通常車両の中を、無料の飲料を配りながら、
乗客と会話をするという「はなれ技」をして見せる。
映像を見ている側はそんな「ゲリラ的」なことして、「捕まらないか」とドキドキさせられた。
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司会の赤木さん(左)とタニシKさん(右) |
彼女はトークのなかで「関心空間」という言葉を使い、
「関係性を明らかにする」行為をなしている。
国民性による違いをみるため、同じ「アテンダント」を韓国ソウル スペインバルセロナの地下鉄で行った。
「孤独死」で亡くなってゆく人の多い都会において、
彼女のなす「行為」は「他者から承認されて生きていたい」という「欲望」に根ざしている。
傍からみると 「そうでしかアートは成立しない。」という反語になったりしながら突きつけられる。
この「アテンダント」以外に個人の大事なものを 特定の人にお届けする「郵便屋プロジェクト」も成してきた。
「関係性そのものがアート」である。
どんなハプニングも含めて、そこで起きた「出来事」によって、
アートを「現実存在」「時間的存在」である証として、
「あの時あの場所での思い出のなかに封じ込める」ことを
「私という存在」が関与した「存在空間」とした。
ありえべからざるゲリラ的「アテンダント」。
どこからとも届けられる「お届け物」。
そして、街頭での「インタヴュー」のすべては、
日常性を「揺さぶられた」側のなかに「届けられた時間」が「想起され、日常の思い出」が現れた。
ギャラリーツアーは展示スペース会場で「個々に起きた出来事」はお笑いのネタではなく、
「記事」として、放送局『TNK news』を開局した。
私も記事が読まれた時、自分から離れ「存在空間」の「出来事」として、展示スペースに投げ出された。
さて、「タニシK」は「関係性そのものがアート」は彼女のアートの営為という「振り子」の一方の頂点とすると、
もう一方の頂点は「毎日欠かしたことのない」という「ドローイング」の日常性もいつか、「作品」として世に送り出されるときに見てみたい。
いったい 「タニシK」さんの素顔はどんな方なのだろう。
【K.F】