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2012年7月20日金曜日
【レビュー】西村陽平展@愛知県陶磁資料館のレビューに挑戦
ロプロプでは5月20日、あっとほっとピクニックテーブル#03として愛知県陶磁資料館に行ってきました(詳細はこちら!)
展覧会を見た後は、西村陽平展のレビューを書いてみよう!ということに。
これまでは「140字レビュー」にトライしてきましたが、
今回はもっと長く書きたい人は書いてみよう、自分のブログを持っている人はブログに書いてみよう、ということになり、ちょっと幅を広げて挑戦してみました。
大変遅くなりましたがこちらにまとめましたので、ぜひご一読ください。
【愛知県陶磁資料館】
彫刻を聞き、土を語らせる 西村陽平展
西村陽平が出会った子どもたち展
(2012年4月7日~5月27日)
●140字レビュー:
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焼成により、同一と思われたものから個が浮かび上がり、異なると思われたものに共通を見る。目に見える世界が揺らぐ。
私もいつか、あの白い粉になるのでしょう。そのとき、それまでの「時間」は「永遠」へと変容するのでしょうか。そんなことを思いながら、過ぎていく日々を白い箱へしまう。
(yuh)
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西村陽平について粘土だけでなく、木、紙、玩具等といったものを焼成した場合、原形を残しながら現存していてこの作品は良いと思います。また、本について、高温で焼成した場合完全に炭になるかと思えば、白くなり現存しているのは科学の実験ぽく驚かざるを得ません。
(トシ)
●字数制限なしバージョン:
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そこに「あるもの」が言葉にできない感覚の間ある。 「聞く」「視る」「触れる」「ある」を駆使しても「ことば」にするのに、想像の手触りを自分で手探りしなくてはいけない。
だからといって、今まで「見てきたもの」に置き換えができない。遠くから「そう考えていたことだよ。」って「想い」に変わった「ものたち」の声が聞こえた。
そのうちに、わたしも「時間の海」に浮くんだ。
(古橋)
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『焼却』や『燃焼』。火にくべられるものは等しく、それまでに持ち備えていた意味や機能を喪失する。火葬においては、人の亡骸は火にくべられることにより、骨のみが残る。骨には表情も眼差しも、思想も希望も孤独も残存しない。火にくべられて炭と化したものと対峙したときに、人はそこに微塵も『心』が残存し得ないことを押し付けられる。
西村陽平が『焼成』という過程に突き詰めたものは何か。空き缶や雑誌、アイロン、トースター、雑誌、文庫本。それらは形状から、火にくべられる以前をかろうじて確認することができる。だが決してそこから本当のことは何も読み取ることはできない。
大量の『書』。展示されている『書』の全ては火にくべられたものだ。『書』が語っていたことは、それぞれにいかなることだったのだろうか。世界について語っていたのか、芸術について語っていたのか、特定の何者かについて語っていたのか。もはや、その一切を聴くことを我々は拒まれている。しかし『焼成』された『書』は、かつて語っていたこととは全く異なることを、語り始める。白く儚げに映る『書』であったものは、世界が回避できない『不可逆』そのものについて、饒舌に語り出す。
(田中瑞穂)
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●各務文歌さんのレビューはArtholic Freepaperに掲載されました!
http://artholicf-review.blogspot.jp/2012/06/blog-post.html
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ロプロプではこれからも、さまざまな人が見たもの(展覧会やパフォーミングアーツ公演など)について言葉にしていくことにトライできるよう何かできないか、考えていきたいと思っています。
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